春を迎えに

 私は、小学6年生のとき、担任の先生に言われた言葉をよく覚えている。とてもやさしい穏やかな男性の先生だった、当時40代だったろうか。私は、その先生に「雲の上にいないで、下に降りていらっしゃい。」と言われた。当時は、よく意味がわからなかった。前後のやりとりから考えると、私があまり「優等生」で子どもらしくなかったようで、それで、もっと子どもらしく自由に振舞えということだったらしい。学級委員をし、児童会の役員もし、子ども同士のいろいろないざこざがあればその仲介に入り、周りに色々と気を使う「子どもらしくない」子どもだったようだ。自分では意識したことはなく、自然体のつもりだったが、今から考えるとどうみても「子どもらしく」はなかっただろう。

 最近、身近な友人に、似たようなことを言われた。「あなたは、人との付き合いがきれい過ぎる。もっと感情をぶつけてほしい。もっとどろどろしたやりとりの中から、強い絆が生まれるのではないか。」という意見だった。

 確かに、私は、人に対して、自分の感情をぶつけるという経験はほとんどない。子ども時代ならともかく、大人は「気が合う、合わない」ではなく、いろいろな人と付き合わなくてはならない。そもそも、私は、「あの人はこういう人だ」とか人を評価するのが好きではなく、いつも、相手に対しての自分の感情を抜きにして、そのままの真っ白な気持ちで、その人そのものを受け止め、付き合いたいと考えてきた。これを、「きれいな」付き合いというのだろうか。私も、私なりの意見はもっており、必要に応じて、意見を戦わせることはある。しかし、その場合でも、相手に対して気分、感情を感じないように自分でも無意識のうちにしている。だから、意見が食い違い、自分の思いが相手に理解されないときは、悲しくはなるが、相手に対しては、それ以上の気持ちは持たない。

 人によっては、こういう付き合いは物足りないのかもしれない。でも、こういう性分なのだから、仕方がない。

 

 でも、私の性分は「静」だけではない。今の政治に対しては、許せない思いでいっぱいだ。不正を許さない、弱いものいじめは許さない、こういう正義感は、見かけによらず、人一倍持ち合わせている。医療制度を改悪し、くらし破壊ばかりでなく命まで脅かす小泉政治。そして、イラクでの無法な攻撃を続けているブッシュ大統領やそれを支持する小泉内閣。そして県民のくらしを顧みず人工島建設に躍起になる鹿児島県政。私の胸の中で、今、これらへの怒りが渦巻いている。今の、私のエネルギーは、この「怒り」と、くらしを何とかしてほしいという県民の「願い」だ。

 この二つを胸にいだいて、私は、この4月、「春」を迎えるたたかいに出よう。

                                (2003.4.1)