桜島

 
 私は1977年(昭和52年)に鹿児島大学に入学した。5月のころだったろうか。大学通りを歩いていると、いきなり、耳元で、「ドーン」と大太鼓をたたく音がした。誰がたたいたのだろうと思って振り返ったが、だれも大太鼓など持ってはいない。では何の音なのか、あたりを見回すがわからない。そうするうちに、あたりがうす暗くなってきたように感じた。しばらくすると、目が痛くなった。コンタクトレンズの目にとって、小さな埃にも痛みを感じる。「えっ、これ何?」何かがパラパラと降ってくる。空を見上げると、黒い雲のようなものが帯状になっている。

 これが、桜島の火山灰―。驚いた。通りを行く人たちが傘をさしている。降った灰を巻き上げて車が走り、通りは、霧がかかったように、先が見えない。信じられなかった。人口50数万人の街に火山灰が降る。なんて鹿児島の人は辛抱強いのだろう。桜島から逃げ出さずに、暮らし続けている。不思議だった。

 それから、25年。私は、吉野から見る桜島が大好きだ。一軒一軒の家や走っている車までよく見える。魚見町から見る桜島、紫原から見る桜島は、雄大だ。明和から見ると手前の町並みから続いているように見える。春夏秋冬。雪が降っては桜島を眺め、暑さを感じては、桜島の空に入道雲を眺める。

火山灰を運ぶ風は恨めしくても、桜島はいとおしい。私も鹿児島人になった。

(2003.2.21)